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いまだ簡単に立ち入りできない浪江の今の様子・・・言葉になりません ~よこはま健康友の会での福島視察旅行 その一

「やっぱり年に一回は福島を忘れないということで、行かないとね。」と某友の会事務局の方に声をかけられ、「だったら全村避難を余儀なくされている浪江町の実情を見るのがいいんじゃない」と返したことがきっかけで、11月2日~3日の二泊三日で福島県へ視察旅行に約40名で行ってきました。
いまだ浪江町は全村避難で誰も住めない場所になっています。この浪江町に立ち入るには、事前に町役場に申請書や入場名簿などを登録しておかなければなりません。その準備を行ったうえで浪江町へ。
当日、急きょ事前でお願いしていた南相馬市議の渡辺さんが議会対応で難しくなり、南相馬ボランティアセンターの宮前さんにガイドをお願いすることとなりました。

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浪江町に行く途中にあったガレキ置場。
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浪江町に入るには、国道6号線を通り抜ける以外では、許可証をゲートで見せて入らなければなりません。
町に入ると異様なのは、人ひとり歩いていないこと。時が止まったかのように感じられます。
請戸漁港の様子。
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私は、2012年2013年と連続して浪江町に入っていますが、この風景は全く何も変わっていません。
また、その変わらないというところでは、街中に行っても同じです。
これは、浪江駅近くにある新聞屋さん。2011年2月12日付けの新聞が配られないまま積みあがっています。

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街中では、至る所で津波と地震の爪痕が残ったままの建物が、そこかしこに残されています。
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町役場の中には、臨時の診療所が開いていました。

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町の住民は、全て村にはいません。そして、散り散りになって、仮設に暮らしたりしています。(これは南相馬市にある仮設住宅)
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本当に、変わっていない。あの2011年から時が止まった町・浪江。本当に悲しい。
他の被災地(岩手・宮城)は、津波でめちゃくちゃになった沿岸部でも、基盤整備をしようかというところまではガレキを含めて撤去されている。
それに比べて、福島の特にこの浪江では、全く手つかずのまま。

 

それは、原発事故のせいです。
その事故が根本的に人の住む環境を奪い去ってしまったんです。
(続く)


2015-11-05 | ブログ視察・研修

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