日本共産党横浜市会議員
古谷やすひこ帰り道は、原発横を走っている国道6号線を通りながら帰路につきました。
ハッキリ言って異常な状況です。
道々には、汚染土壌が入った思われる黒いフレコンバッグがあちらこちらにあります。

フレコンバッグに入れられた汚染土壌の持っていき場はなく、空き地があれば積み上げられています。

国道6号線は開通したといっても、車以外のものは通れません。バイクも自転車もダメです。
そして、右にも左にも曲がることは許されません。必ず、横道はガードされており、警備員もいます。

ずっとバスの車内で線量計を持って測っていましたが、最高で6.857マイクロシーベルトを記録しました。

まさにこういうことです。

こんなところを政府は開通させたわけです。何も事態は変わっていないのに・・・。
2日目は、全国的にも有名になった希望の牧場へ。
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代表の吉沢さんから直接お話を伺いました。
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全国各地に出没している宣伝カー。私も国会前でみたことが何度もあります。
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牛たちの様子。現在330頭の牛がいるそうです。
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今はたった一人で、この牧場で暮らし、日々牛たちの世話をしているそうです。
出荷もできず、政府からは殺処分を求められ、拒否し続けているそうです。
中には、白い斑点の原因不明の病におかされている牛もいるとのこと。
全国からの支援を受けて、成り立っているそうです。
いまでも、なぜここにいるのかを問いかけながら、牛たちの世話をしている、とのこと。
言葉がありません。

「やっぱり年に一回は福島を忘れないということで、行かないとね。」と某友の会事務局の方に声をかけられ、「だったら全村避難を余儀なくされている浪江町の実情を見るのがいいんじゃない」と返したことがきっかけで、11月2日~3日の二泊三日で福島県へ視察旅行に約40名で行ってきました。
いまだ浪江町は全村避難で誰も住めない場所になっています。この浪江町に立ち入るには、事前に町役場に申請書や入場名簿などを登録しておかなければなりません。その準備を行ったうえで浪江町へ。
当日、急きょ事前でお願いしていた南相馬市議の渡辺さんが議会対応で難しくなり、南相馬ボランティアセンターの宮前さんにガイドをお願いすることとなりました。

浪江町に行く途中にあったガレキ置場。

浪江町に入るには、国道6号線を通り抜ける以外では、許可証をゲートで見せて入らなければなりません。
町に入ると異様なのは、人ひとり歩いていないこと。時が止まったかのように感じられます。
請戸漁港の様子。



私は、2012年2013年と連続して浪江町に入っていますが、この風景は全く何も変わっていません。
また、その変わらないというところでは、街中に行っても同じです。
これは、浪江駅近くにある新聞屋さん。2011年2月12日付けの新聞が配られないまま積みあがっています。

街中では、至る所で津波と地震の爪痕が残ったままの建物が、そこかしこに残されています。
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町役場の中には、臨時の診療所が開いていました。
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町の住民は、全て村にはいません。そして、散り散りになって、仮設に暮らしたりしています。(これは南相馬市にある仮設住宅)
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本当に、変わっていない。あの2011年から時が止まった町・浪江。本当に悲しい。
他の被災地(岩手・宮城)は、津波でめちゃくちゃになった沿岸部でも、基盤整備をしようかというところまではガレキを含めて撤去されている。
それに比べて、福島の特にこの浪江では、全く手つかずのまま。
それは、原発事故のせいです。
その事故が根本的に人の住む環境を奪い去ってしまったんです。
(続く)